フリーダ・カーロ|人生が映画化&伝記に 自身の感情を自画像で表現した女流画家

フリーダ・カーロ 芸術家紹介

フリーダ・カーロのプロフィール

名前 フリーダ・カーロ
国籍 メキシコ
生誕 1907年7月6日
死没 1954年7月13日

フリーダ・カーロの生涯

メキシコを代表する女流画家のフリーダ・カーロは、1907年7月6日に、メキシコシティの南西部に位置するコヨワカンという地区にて生まれました。

父親は、ユダヤ系ハンガリー人で写真家だったギリェルモ・カーロ、母親はインディオの血が流れるマティルデ・カルデロン=イ=ゴンサレスです。

6歳の時にポリオ(急性灰白髄炎)に罹り、右足が不自由となってしまいました。

さらに、17歳の時に通学に利用していたバスと路面電車の衝突事故によって瀕死の重傷を負い、生涯後遺症と幾度もの手術に苦しむこととなりました。

治療のために入院を余儀なくされたこと、恋仲だった男性との破局、痛みが続くなどの後遺症によって、ベッドで過ごす時間が増えたことから、本格的に絵を描くようになっていきました。

1929年、フリーダが22歳の時、21歳年上のメキシコ人画家ディエゴ・リベラと結婚し、リベラの仕事に合わせてメキシコシティやサンフランシスコ、ニューヨークなど各地を転々としました。

結婚生活では、数回の流産とリベラの浮気など辛いことが重なりましたが、この経験が彼女の作品へ多大な影響を与えています。

1933年、メキシコに戻った二人は、メキシコシティの南部にあるサン・アンヘル地区に住居とアトリエを兼ねた一軒家を建て、暮らし始めました。

1935年、リベラが妹のクリスティナと関係を持ったことにショックを受け、メキシコシティ中心街に住み始め、心情を描いた「ちょっとした刺し傷」という作品を発表しました。

政治活動にのめり込んでいたフリーダは、1937年にロシアの革命家レオン・トロツキーとその妻を自身の生家「青い家」に住まわせただけでなく、トロツキーとも関係があったとされています。

1938年大規模な個展を海外で初めて開催したことで注目が集まり、多方面から作品に注文や購入が相次ぐようになりました。

1939年11月、リベラとの離婚が成立し、自身の生家「青い家」に戻りました。

1940年には脊髄の強い痛みや右手が急性真菌性皮膚疾患にかかったことなどにより、サンフランシスコで治療することとなりました。

1940年12月にリベラと再婚し、青い家を住居に、サン・アンヘルの家をアトリエとして使うようになりました。

このころから国内でもフリーダの名が知れ渡るようなり、1942年には専門学校の教員や展示会の企画、賞の受賞など多岐に渡る活躍をしていましたが、体調は回復せず、入退院を繰り返すようになりました。

ベッドに画架を取り付け、寝たまま絵が描けるようにし、作品制作を続けていました。

しかし、右足の痛みがひどくなり、絵を描くこともままならなくなったため、1953年に膝まで切断して義足での生活となりました。

1954年7月13日、肺炎を併発して、47歳の生涯を閉じました。

現在、フリーダは人生の多くを過ごした生家「青い家」は、「フリーダ・カーロ博物館」として公開されています。
フリーダが描いた絵だけでなく、車いすや画材なども展示されています。

フリーダ・カーロの作風

フリーダ・カーロ

出典:オルブライト=ノックス美術館

フリーダ・カーロの作品の特徴は、

  1. 自画像が多い
  2. 自身の心境の変化を自画像に投影する

上記2点が挙げられます。

1926年に制作された「ビロードの服の自画像」をはじめ、約200点ある作品の大半は自画像です。

自身に起こったことをテーマに取り入れながら、孤独や感情を自虐的な形で表現していて、緻密なタッチと鮮やかな表情が目を引きます。

華やかな民族衣装を身にまとった自画像や、棘が自身に刺さって流血している自画像など、自身の心情を独特の表現方法で描いて、心情を投影しています。

エッチングやフレスコ画など様々な技法を試し、作品に感情を込めることにこだわっていました。

フリーダ・カーロの作品

「いばらの首飾りとハチドリの自画像」

フリーダ・カーロ

出典:フリーダ・カーロ「いばらの首飾りとハチドリの自画像」

「いばらの首飾りとハチドリの自画像」は、1940年に制作された自画像で、現在はボストン美術館に収蔵されています。

いばらのネックレスが首に食い込んで血を流していて、自身の心の痛みを表現しています。

高雲の象徴であるハチドリが死んだ状態で描かれているとともに、元夫(1940年に再婚)からプレゼントされたクモザルを悪の象徴として描かれています。

傷ついた鹿

フリーダ・カーロ

出典:フリーダ・カーロ「傷ついた鹿」

「傷ついた鹿」は1946年に制作された作品です。

自身の体調がどんどん悪くなり、ほとんど歩くことができなくなった時期に制作されました。

フリーダ自身を立派な角が生えた雄鹿との混合物として描き、体にたくさんの矢が刺さり、刺さったところから血が流れているという、激しい表現方法で描かれています。

足が出ずに歩けない鹿を描写しながらも、こちらを向いている彼女の表情は淡々としており、その対比も彼女らしい構図です。

フリーダ・カーロの関連書籍

わたしはフリーダ・カーロ:絵でたどるその人生

「べつにいいわ。わたしは今のわたしが好きだもの。」
生まれ持った障がい、二度の事故、失恋、ディエゴ・リベラとの結婚、浮気、流産、トロツキーとの恋、アメリカやフランスでの困難……
苦難に立ち向かいながら数々の傑作を残した生涯を、美しいイラストでつづる。

出典:Amazon

フリーダ・カーロとディエゴ・リベラ

激動の20世紀メキシコを代表する2大画家の愛と苦悩。

出典:Amazon

タイトルとURLをコピーしました