グスタフ・クリムト|日本に影響を受けたオーストリアの画家

グスタフ・クリムト芸術家紹介

グスタフ・クリムトのプロフィール

出典:Wikipedia

名前グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)
国籍オーストラリア
生誕1862年7月14日
死没1918年2月6日

グスタフ・クリムトの生涯

オーストリアのバウムガルデンで7人兄弟の2人目として生まれたクリムトは、博物館付属工芸学校で、古典主義的な教育を受けて表現の基礎を鍛えました。

1879年に弟のエルンストとその友人のフランツ・マッチュと、共同で美術やデザインに関する請負を事業としてはじめ、ブルク劇場やリングシュトラーゼ沿いの美術史美術館の装飾などを手がけ、功績として金功労十字賞が授与しました。

名を広めたクリムトは、1894年に文部省からウィーン大学大講堂の天井装飾の依頼を受けて、「学部の絵」と呼ばれる「哲学」「医学」「法学」をテーマとした天井画三部作の制作を開始しましたが、依頼者とは異なる意図を作品に反映させ、その内容が理性の優越性の否定をほのめかす内容だったことから大論争を引き起こしました。
大論争は一時的に沈静化したものの、「哲学」と「医学」が公開されたことで再燃し、事の大きさにクリムトは報酬を返却しました。

1897年にクリムトは、クントラーハウス(美術家組合)を嫌う芸術家を中心に、新しい造形表現を追求するウィーン分離派の会長に就任し、モダンデザインの成立に大きく貢献しました。

クリムトの特徴である黄金色を使った作品は、1902年に開かれた第14回分離派展覧会で装飾性にこだわった「ベートーヴェン・フリース」を発表したころから、代表作「接吻」に見られる黄金色を使った作品を多く制作するようになりました。

1905年、クリムトが会長を務めていたウィーン分離派では、主張の対立や国からの補助金が停止したことからウィーン分離派を脱退しまし、オーストリア芸術家連盟を結成しました。

この頃から、クリムトが描く黄金色を使った作品は、晩年に近づくにつれて少なくなりました。
晩年は、世界的に流行していたスペインかぜの症状悪化による脳梗塞と肺炎を患い、クリムトはウィーンで生涯を閉じました。

グスタフ・クリムトの作風

女性の体をモチーフとすることが多く、男女の愛や官能的な表現することを得意としました。
なかには、死や滅びを想起させる絵も存在します。

クリムトを象徴する「黄金の時代」の制作された作品には、

  • 黄金色の多用
  • 余白を効果的に使う

といった特徴があります。

燕子花図屏風

出典:casabrutus

「黄金の時代」は、尾形光琳の「燕子花図屏風」をはじめとする琳派の影響を色濃く受けており、ジャポニズムに関心を寄せていたことは、甲冑や能面をコレクションとして保有していたことからもわかります。

\燕子花図屏風は根津美術館が所蔵しています/

【根津美術館】アクセス・みどころ・割引情報・カフェ
根津美術館の基本情報 住所 東京都 港区南青山6丁目5−1 最寄駅 表参道駅 営業時間 10:00〜17:00 定休日 火曜日 電話番号 03-3400-2536 入...

グスタフ・クリムトの作品

ユディト

出典:Wikipedia

旧約外典のユディト記に登場するユディトをモチーフに、将軍ホロフェルネスを殺害した直後を官能的かつ、妖艶性を含めて描いた一枚です。

平面的な画面構成に黒色と黄金色を豪華に使うことで、うっとりとした表情で佇むユディトの存在感が引き立たせ、鑑賞者の妄想を刺激します。

接吻

出典:Wikipedia

クリムトの黄金時代を代表する作品で、制作当時はタブーとされていた接吻をテーマにエミーリエ・フレーゲとクリムト自身をモデルに描きました。

「ユディト」と同じく、平面的な画面構成に黄金色を全体的に使いながら、男女関係を官能的に表現した「接吻」は、1908年に開催された総合芸術展で大きな注目を集め、終了直後にオーストリア政府が買い上げるという異例の作品となりました。

現在は、ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館が所蔵しています。

グスタフ・クリムトの関連書籍

もっと知りたいクリムト

象徴派、デカダン派、印象派など多彩な顔を持つ世紀末ウィーン最大の画家クリムトの生涯を忠実にたどります。重要作品はクローズアップし、近年注目の叙情的な風景画や斬新な肖像画も数多く収録した充実の入門書。

出典:楽天ブックス

クリムト作品集

世紀末ウィーンが生んだ孤高の画家クリムト。その作品をエロスとタナトスの神話的・寓意的世界、瀟洒な装飾で飾られた肖像画の世界、望遠レンズでとらえた風景画の世界の3つに分けて紹介する。主要作品解説も掲載。

出典:Amazon

 

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