東山魁夷|風景画「残照」「道」「緑響く」で知られる日本画家

東山魁夷 芸術家紹介

東山魁夷のプロフィール

東山魁夷

出典:信州たてしな観光協会

名前 東山魁夷(ひがしやまかいい)
国籍 日本
生誕 明治41(1908)年7月9日
死没 平成11(1999)年5月6日

東山魁夷の生涯

東山魁夷は、本名を東山新吉(ひがしやましんきち)といいます。

明治41(1909)年7月8日、横浜に生まれ、父の仕事の都合で3歳の時に神戸に移りました。

画家を志して東京美術学校(現在の東京芸術大学)日本画科に進学し、在学中に第10回帝展に初めて出品した作品「山国の秋」が入選を果たしました。

東京美術学校研究科卒業後、西洋美術研究のためにドイツのベルリン大学(現在のフンボルト大学)に留学しましたが、父が危篤となり、留学を途中で中断して帰国しました。

昭和15(1940)年、魁夷が32歳の時に日本画家川崎小虎の娘・すみと結婚し、昭和20年7月には招集を受けて熊本の部隊で終戦を迎えました。

親族の死や応召など様々な試練と対峙する中で、自然の美しさや風景を描くことへ向き合うようになったと言われています。

終戦後は千葉県市川市に移り住み、昭和28年には美術学校の同窓だった中村順三の設計で新居を構え、以後50年以上市川で制作活動を行いました。

昭和22年に第3回日展に出品した「残照」が特選を受賞し、第11回日展出品作「光昏」が第12回日本芸術院賞を受賞するなど、画家としての名が広まっていきました。

徐々に名が広まっていき、40代以降は東京や神戸、国内外多数の年で個展を開催しました。

昭和35(1960)年に東宮御所の壁画「日月四季図」、昭和43年には皇居新宮殿の大壁画 「朝明けの潮」と皇居の大壁画を手掛けるなど、日本画家としての地位が確固たるものになっていきました。

皇居の大壁画に取り組んでいた時期には、北欧を旅したことで触れた芸術や文化に刺激を受け、青を多用した絵画を次々と発表し、「青の画家」とも呼ばれました。また、京都をモチーフにした絵画も多数描いていて、日本回帰の作風が注目を集めました。

50代に入って制作された作品「緑響く」は、信州・八ヶ岳の「御射鹿池(みしゃかいけ)」をモチーフにしていて、東山魁夷の代表作の1つです。

50代後半になると、日展理事や日本芸術会員など様々な要職に就き、画家以外の活動の幅を広げてるとともに、60代には文化勲章を受章し、文化功労者にも選ばれています。

奈良県にある唐招提寺御影堂障壁画を、2期にわたって数年の歳月をかけて制作し、完成したのちには壁画展も行われました。

70代に入っても、ヨーロッパへも旅に訪れたり、個展を世界各地で開催するなど、精力的に活動を続けていました。

平成2(1990)年、魁夷が82歳の時に長野県長野市にある長野県信濃美術館に併設する形で東山魁夷館が開館し、本人から長野県へ寄贈された作品約500点を含む、約970点に及ぶコレクションが収蔵されています。

千葉県市川市の市川市生涯学習センター内にも東山魁夷アートギャラリーが開館、日本や世界各地で個展が開催されるなど、晩年まで活躍し続けていました。

平成11(1999)年、90歳で老衰で亡くなりましたが、生誕100年展や生誕110年展が全国各地で開催され、今なお世界中のひとから愛されている日本画家です。

東山魁夷が亡くなった後、平成17(2005)年には、長年住んでいた東山魁夷の自宅隣に、西洋風の外観が特徴的な市川市東山魁夷記念館が開館し、東山魁夷の人生を追体験できる展示が見られます。

東山魁夷の作品

残照

東山魁夷 残照

出典:市川市東山魁夷記念館

「残照」は、昭和22(1947)年に第3回日展に出品され、特選を受賞した作品です。

千葉県鹿野山の九十九谷の風景と、上越や甲州に連なる山々の情景を重ね合わせて描かれた風景画で、東山魁夷が風景画家として絵に携わることを決意させた作品と言われています。

東山魁夷によると、残照を描いた当時のことを、

「光の明暗と、大気の遠近による諧調、嶺々の稜線が作り出す律動的な重なり合いが、この作品を構成する要素であるが、それによって表そうと希(こいねが)ったものは、
当時の私の心の反映、私の切実な祈り、索漠の極点での自然と自己との、緊密な充足感ともいうべきものであった」
(「東山魁夷画文集 風景との対話」東山魁夷著 新潮社 1978年 より引用)

と振り返っています。

作品は、東京国立近代美術館に収蔵されています。

唐招提寺御影堂障壁画

東山魁夷

出典:テレビ愛知 東山魁夷唐招提寺御影堂障壁画展

奈良県にある唐招提寺の御影堂の襖絵は、唐招提寺の鑑真和尚に捧げた大作です。

日本各地の山や海を取材して回り、約10年もの歳月をかけて完成させた襖絵は、東山魁夷を代表する作品の1つです。

鑑真が日本で見たかったであろう風景を描いたとされる「山雲(さんうん)」と「濤声(とうせい)、墨一色で描かれた鑑真の故郷の風景「揚州薫風(ようしゅうくんぷう)」や「桂林月宵(けいりんげっしょう)」、「黄山暁雲(こうざんぎょううん)」などがあります。

緻密にシュミレーションを重ねて描かれた薄塗りの襖絵には、目が見えない鑑真が自然を感じ取れるようなモチーフが取り入れられていて、鑑真への鎮魂の思いが込められています。

東山魁夷の関連書籍

もっと知りたい東山魁夷 生涯と作品

東山の作品は風景との真摯な対話によって、自身と自然との合一をはかるところに生まれてくる。これもきわめて日本的な考え方とも見えるが、その姿勢は現代において日本人が失いつつあるものである。人間と自然が乖離しつつあるこの時代に、作品を通して自然との対話の大切さを語り続けてきた東山芸術は、その意味で時代に生きる感覚を確かに宿している。東山魁夷の作品が多くの人々の共感を得ているのも、実にそれゆえといえよう。

出典:Amazon

東山魁夷の世界

代表作品62点を解説と共に収録。見て楽しみ読んで学ぶ画集。名作の芸術的香気に包まれ、その鮮烈な生き方をたどる。

出典:Amazon

 

タイトルとURLをコピーしました