菱川師宣|大衆文化・浮世絵の創始者

菱川師宣 芸術家紹介

菱川師宣のプロフィール

出典: 菱川師宣記念館

名前 菱川師宣(ひしかわもろのぶ)
国籍 日本
生誕 1618(あるいは1630)
死没 1694(享年64-65あるいは77)

菱川師宣の生涯

菱川師宣は、安房国保田(現: 千葉県鋸南町保田)の縫箔師の家庭に7人兄弟の第4子長男として生まれました。幼い頃から絵を描くことが好きだった彼は、家業を手伝いながら狩野派や土佐派の絵画に接し、独学で絵の技法を磨きました。

※縫箔師(ほうはくし、ぬいはくし)…刺繍と摺箔(すりはく、布地に金銀箔を摺り付けて模様を表す方法)を併用して布地に模様を描く職業。

江戸へ出た後、初めは版本(手書きによって作られる「写本」に対して、木版で印刷された本を指す)の下絵や名所絵の絵師として活躍します。その後、文章が少なく大きな挿絵の入った絵本を刊行し、これによって庶民の人気を獲得しました。こうしてこの頃には師宣独自の様式が確立することになります。

師宣の活躍1670年代に最も目覚ましく、そして充実したものとなります。自ら風俗絵本や役者絵本を刊行するのみならず、井原西鶴の『好色一代男』の挿絵を担当する等、幅広く活躍しました。

こうして大衆の人気を得た師宣は挿絵を観賞用の一枚絵として独立させ、墨一色の大量印刷によって価格を下げ、誰でも買えるものとしました。この墨摺絵が、後の浮世絵の原点となったのです。

《衝立の陰》(出典: Wikipedia)

しかし師宣は自らを「浮世絵師」とは称せず、当世風俗の画題も、古風な画題も自在に描くことができるという技量に誇りを持ち、「大和絵師」「日本絵師」と自称しました。

版画の他にも、師宣は肉筆浮世絵を制作しました。歌舞伎や吉原遊里の風俗を細やかに描き出し、花見に集う庶民や遊女を題材にして師宣独自の美を追求しました。《見返り美人図》に見られるような、「浮世」と呼ばれた平和な当時の世相にマッチした大らかで優美な作風は、その後の浮世絵の基本的な様式となりました。

《秋草美人図》(出典: 菱川師宣記念館)

菱川師宣の作風

松尾芭蕉の門人である服部嵐雪が俳諧撰集『虚栗(みなしぐり)』において「菱川やうの吾妻俤(あづまおもかげ)」と詠んだように、師宣の絵画は新鮮で生命力にあふれていました。

人物を生き生きと描き出す当世風俗画は絵だけで十分楽しめるものでした。それまで文に従属する挿絵から絵を独立させ、版画における絵画表現の場を飛躍的に拡大させることになったのです。

菱川師宣の作品

見返り美人図

出典: 東京国立博物館

菱川師宣の代表的な作品であり、同時に彼の代名詞的な作品です。色鮮やかに描かれた女性は菊と桜の刺繍を施した着物に「吉弥(きちや)結び」という結び方で帯を結ぶという、17世紀末に流行していた服装で描かれています。

タイトルにもある、歩く途中にふと体をひねって後ろに視線を送るという「見返り」のポーズは、それらを美しく見せるとともに、女性の柔和な美しさを演出させるものとなっています。

中村座図屏風(歌舞伎図屏風)

出典: e國寶

作者の落款はありませんが、最近の研究では菱川師宣の晩年の作品として定評があります。紙本に着色された六曲一双の屏風には歌舞伎小屋の様子が描かれ、向かって右半分には芝居小屋の舞台と客席のにぎやかさが、左半分には雑然とした楽屋と芝居茶屋ののびのびとした様子が描かれています。

あらゆる階層と年齢の、総勢285名の人物が一人一人表情や姿勢に臨場感をもって描かれており、その完成度の高さがうかがえます。

菱川師宣の関連書籍

もっと知りたい浮世絵

人気の「もっと知りたいシリーズ」の1冊として、浮世絵についてのベーシックな知識と主要作品を網羅した入門書の決定版。浮世絵が成立した頃の初期の作例から絢爛豪華な錦絵の誕生を経て、世界中から注目される北斎や国芳の超絶技巧にいたるまでの流れを多くの作品と共にわかりやすく解説します。

出典:Amazon

浮世絵の歴史 美人絵・役者絵の世界

浮世絵は、どこから生まれ、どう広まったのか―。菱川師宣、歌川派から歌麿・北斎・写楽と輩出する才能は、購買力を備えた庶民の嗜好を敏感に捉え人気を博す。江戸中期の隆盛、幕末の動乱による衰退、そして「低俗」と蔑まれ海外流出を招いた不遇から再評価に至るまで、美人絵・役者絵に焦点を絞り、国際浮世絵学会会長を務めた第一人者が通観する。

出典:Amazon

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