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ジャン=ミシェル・バスキア|27歳で夭折したアメリカの天才

バスキア 人物紹介
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ジャン=ミシェル・バスキアのプロフィール

ジャン=ミシェル・バスキア

出典:WXXY

名前 Jean-Michel Basquiat(ジャン=ミシェル・バスキア)
国籍 アメリカ
生誕 1960年12月22日
死没 1988年8月12日(27歳)

ジャン=ミシェル・バスキアの生涯

芸術好きの母・マチルダの影響で小さいころから美術館を訪れ、芸術に触れて育ったバスキアは芸術的才能以外にも、スポーツと語学にも長けており、11歳になる頃までにはフランス語、スペイン語、英語などを話していました。

7歳のころに交通事故で大怪我を負ったバスキアは、入院中に母から渡された「グレイの解剖学」を読み、人類はみんな、同じ構造であることを学びました。
「グレイの解剖学」はバスキアの芸術鑑に大きな影響をあたえ、作品では解剖学的な作品も多数、存在しています。

両親の離婚で父に育てられることになったバスキアは家出し、ニューヨークを中心に生活を過ごしていましたが、警察に保護されたあと、父から勘当されホームレスになり、友人たちと手作りで作ったシャツやポストカードの販売で生計を立てていました。

また、同時期に友人のアル・ディアスとはじめた「SAMO」は政治的メッセージを込めたグラフィティ・アートは、画商のアニーナ・ノゼイに才能を見出され、支援を受けたバスキアは頭角を現し、バスキアは数年足らずで一流に仲間入りし、仕事の依頼を受けるようになったバスキアは、「SAMO」の活動を終了しました。

芸術活動以外にも、ヒップホップアーティストのラメルジーとシングルレコードを発表しまし、この時制作されたレコードは、限定500枚という希少性から高い価値を持っています。

「キャンベルのスープ缶」「shot marilyns」などで有名なポップアートの巨匠であるアンディ・ウォーホルとのコラボでは、ロサンゼルスで開催した夏季オリンピックを受けて「オリンピック・リング」を制作しました。

バスキアはウォーホルと関係を築き、良好に交流を続けていましたが、ウォーホルが亡くなったことに心を痛めて手を出したヘロインの中毒により27歳の若さで亡くなりました。

ジャン=ミシェル・バスキアの作風

対立関係にあるものを切り取る「挑発的二分法」と呼ばれる芸術館を持つバスキアは、建物、オブジェ、物体など様々なものを対象として、社会批評をテーマにして作品制作をしました。

また、バスキアの作品にはテキストやコードを組み込んで描かれることが多く、プリミティヴィズムを感じさせます。

ジャン=ミシェル・バスキアの作品

無題

前澤友作 バスキア

出典:FASHIONSNAP.COM

日本の経営者である前澤友作がサザビーズのオークションでアメリカ人アーティスとして
最高落札額である約123億円で落札したことで、一躍有名になった「無題」は、黒の太い線で大部分を描かれたドクロが印象的な一枚です。

現在は、前澤氏の意向により世界中の美術館に貸し出しが行われています。

SEE

SEE

出典:世田谷美術館

「SEE」と名付けられたこの作品では、不気味な表情で、何かを見つめる人が特徴的です。東京の世田谷美術館が所蔵しており、日本でバスキアを鑑賞できる数少ない美術館の一つとして有名です。

ジャン=ミシェル・バスキアの関連商品

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バスキア本人と親交があったジュリアン・シュナーベルが監督を務めた映画です。内容はバスキアの生涯を映画化したもので、いかにしてバスキアが有名になるまでの過程やその間での人間関係を映画を通じて学ぶことができます。

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