円山応挙|写生画を進化させた江戸時代の絵師

円山応挙芸術家紹介

円山応挙のプロフィール

丸山応挙

出典:Wikipedia

名前円山応挙(まるやまおうきょ)
国籍日本
生誕1733(享保18)年6月12日
死没1795(寛政7)年8月31日

丸山応挙の生涯

円山応挙は、享保18(1733)年、丹波国南桑田郡穴太(あなお)村(現在の京都府亀岡市曽我部町)に、農家の次男として生まれました。

幼少期の記録は残っていないので詳しいことはわかりませんが、10代後半には京へ出て、江戸時代に活躍した狩野探幽の流れ引く絵師・石田幽汀の門人になったとされています。

20代になると、京都四条通柳馬場にある尾張屋中島勘兵衛という玩具商に勤めるようになり、オランダからやってきた「眼鏡絵」に出会いました。

眼鏡絵とは、西洋画の遠近法を応用して絵を描き、「覗き眼鏡」という凸レンズをはめた箱を通すことで絵が立体的に見えるという手法です。
応挙は、「四条河原遊涼図」や「石山寺図」、「三十三間堂図」などの眼鏡絵の制作しました。

33歳となった明和3(1766)年から、自身の名を「応挙」と名乗り始めました。
「応挙」の意味は、中国宋末~元初の画家・銭舜挙に見合うような絵師であるという意味で、銭舜挙に劣らぬ絵を描こうとするという意味が込められていたとされています。

応挙と名乗るようになったころから、三井寺円満院の祐常門主に絵の才能を認められ、絵画理論を深めていきました。さらに江戸時代の豪商・三井家からも経済的支援を受けて、絵師を続けていました。

このことから、「七難七福図」と「孔雀牡丹図」は第二次世界大戦後まで三井寺円満院に伝来したものであり、「雪松図」は三井家から伝来したものとされています。

応挙の功績として、「初めて脚がない幽霊を描いた画家」というのも挙げられます。
40代の頃に描かれた脚がない幽霊画「幽霊図(お雪の幻)」によって、後世にも幽霊のイメージが定着しています。

晩年には大乗寺の障壁画など大掛かりな作品にも取り組んでいて、大乗寺に納められた「松に孔雀図」など、現在国の重要文化財に指定されている作品も多数制作しました。

写実的描写や古い絵画の模写などを続け、緻密に描かれた応挙の写生画は、丸山派という大きな一派を確立し、「写生派の祖」ともいわれています。

寛政7(1795)年、63歳で死去したのち、丸山派は長男の応瑞が引継ぎました。

応瑞以外にも優れた門人を多数輩出しており、その中でも、丸山派をさらに発展させた優れた10人は、総称して応門十哲」と呼ばれています。

円山応挙の作風

円山応挙 桜に孔雀図

出典:西新井大師
「桜に孔雀図」(重要文化財)

円山応挙の作品の特徴として挙げられるのは、これまでになかった「写生」を重視したことです。

それまでの日本の絵画は平面的でしたが、応挙は目の前の人物や風景を観察しながらありのままに描く「写生」を絵画に取り入れ、日本の画法に新しい風を吹かせました。

写生を重視しながら、日本絵画で扱われてきた伝統的なモチーフを描くことで、大衆にも受け入れられたと言われています。

大乗寺

出典:兵庫県公式観光サイト
大乗寺襖絵(重要文化財)

写生画とともに知られているのが、晩年に多数制作した襖絵や障壁画です。

写生画のような緻密さもありながら、墨の濃淡やタッチの変化で大胆に遠近を描いた襖絵も多く、200年以上前に描かれたものとは思えない立体感を感じさせる作品ばかりです。

円山応挙の作品

雪松図屏風

円山応挙 雪松図 雪松図

出典:Wikipedia

天明6年(1786)年頃に制作された「雪松図屏風」は、円山応挙の代表作の1つで、国宝に指定されています。

一面の雪の中にそびえる松の木に、雪が積もる様子が描かれている姿を、墨と金泥と紙のみで表現されています。

雪が積もっているように見せるように、白い地の部分を塗り残して、ふんわりとした積雪を描かれていて、左側の絵には若々し松の木、右側の絵には直線的で力強くそびえる松を描くなど、2枚の対比も見事です。

現在は、三井記念美術館に所蔵されています。

七難七福図巻

円山応挙

出典:八代市立博物館

「七難七福図巻」は、天災巻・人災巻・福寿巻の3巻で構成される巻物で、三井寺円満院の祐常門主の依頼で制作されました。

3巻合わせて約35mにもなる大作で、3年もの月日をかけて制作されたと言われています。

天災編では、地震や洪水、雷を、人災編では水責めや切腹といった凄惨な描写が、緻密な写生画を得意とする応挙のタッチを生かし、生々しく描かれています。

この2巻に対比するように、福寿編では、大邸宅での貴族の宴や祝宴の調理など、公家や武士などに特化した絵が描かれています。

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いちからわかる 円山応挙

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出典:Amazon

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