岡本太郎|「芸術は爆発だ!」衝撃を生み出し続けた異端児

岡本太郎芸術家紹介

岡本太郎のプロフィール

岡本太郎

出典:Wikipedia

名前岡本太郎(おかもと たろう)
国籍日本
生誕1911年(明治44年)2月26日
死没1996年(平成8年)1月7日(満84歳没)

岡本太郎ってどんな人?

漫画家と小説家の間に生まれた岡本太郎は幼いころから、学問に関心がなく漫画家の父の影響から絵を描くことに熱中しました。絵を描き続けることに葛藤を感じることもありましたが、岡本太郎は絵の道に進むべく東京美術学校に進学しました。

東京で生活をしていた岡本太郎に転機が訪れます。当時、岡本太郎の父である一平が漫画の連載を受け持っていた朝日新聞より特派員としてロンドン海軍軍縮会議の取材のため、ヨーロッパへと渡りました。それから、岡本太郎は10年間をパリで過ごすことになります。パリでは、語学の習得の勉強、民俗学の勉強の傍ら、抽象美術やシュルレアリスムなど様々な表現に積極的に触れていた時期を過ごしました。

また、パリでの大きな出来事として、パブロ・ピカソの作品「水差しと果物鉢」との出会いがあります。自身の芸術活動に疑問・迷いを抱えていた岡本太郎は「水差しと果物鉢」を鑑賞した際に衝撃をうけ、ピカソを超えるという大きな目標を見つけました。

長年過ごしたパリですが、ドイツがパリに侵攻したため岡本太郎は日本に帰国しました。帰国後は、軍兵として戦場に立ち太平洋戦争を経験しました。第二次世界大戦後は日本での活動を中心としてメディアに広く出演するようになった岡本太郎は生活拠点を港区青山に移しました。

岡本太郎は晩年まで、制作を続けますが、その時の作品に特に影響を与えたのは1960年代にメキシコで過ごしたことが関係しています。滞在中に触れた壁画運動から刺激を受けた岡本太郎は、のちに壁画を制作します。また、同時期には岡本太郎の代表作として名高い「太陽の塔」は世界中に衝撃をあたえ、現在でも大阪の象徴として存在しています。

死ぬ間際まで活動を続けていた岡本太郎ですが、手足が震え筋肉が固まるパーキンソン病による急性呼吸不全で亡くなりました。

岡本太郎を動画で観る


岡本太郎の作風と代表作品

岡本太郎の作風

金遣いが荒い父とお嬢様育ちで家事・育児がほとんどできなかった母の間に生まれた影響から、自由奔放な性格に育ち、創作においても枠組みに囚われない自由な発想を形にしました。

岡本太郎の作風は、フランス滞在からによるものが大きく形を作り上げる色・形・線などを使って表現する抽象芸術や、夢や幻想のように非現実的な描写をするシュールレアリズムの影響をうけています。また、表現を体現するものとしては絵画だけでなく、彫刻、建築、デザインなど多岐にわたります。

岡本太郎の代表作品

明日の神話

明日の神話

出典:明日の神話 保全継承機構

岡本太郎がメキシコに滞在していた時に、メキシコの実業家から「新しく建てるホテルの壁画を描いてくれないか」と依頼されたことから「明日の神話」の制作が始まりました。依頼を快諾した岡本太郎は制作にとりかかりますが、ホテルの経営状況の悪化により壁画は取り外されてしまい、そのまま行方不明となりました。

長く行方不明となっていた「明日の神話」は2003年にメキシコシティの郊外で奇跡的に発見されました。しかし、作品は損傷がひどく鑑賞できる状態ではなかったことから、岡本太郎記念現代芸術振興財団が立ち上がげた「明日の神話」再生プロジェクトにより日本に移送後、修復作業が行われました。

修復を経て、再現された「明日の神話」は、渋谷に恒久的に設置されることが決まり、今でもJR線渋谷駅と京王井の頭線渋谷駅を結ぶ連絡通路(マークシティ内)で観ることができます。

「明日の神話」の全貌は明日の神話 保全継承機構のサイトから閲覧できます。
また、岡本太郎の養女である岡本敏子による音声解説も聴くことができます。

太陽の塔

太陽の塔

出典:太陽の塔 オフィシャルサイト

「明日の神話」と同時期に制作された「太陽の塔」は、大阪府吹田市で行われた日本万国博覧会の開催にあわせて公開しました。外からみえる「黄金の顔」「太陽の顔」「黒い太陽」、地下に展示された「地底の太陽」の4つの顔を持ちます。他にも、地下の展示室には「生命の樹」というテーマで、樹の幹や枝に大小ことなる単細胞生物から、は虫類、恐竜、人類などで生命の進化の変遷をたどっています。

博覧会終了後は、地下の展示空間は埋められ太陽の塔を囲っていた屋根は取り壊されました。当時は、太陽の塔も取り壊される予定でしたが反対の声が高まったことから、現代まで大阪の象徴として立ち続けています。

太陽の塔は見学が可能

太陽の塔は、事前予約(※前日までに要予約)で太陽の塔の内部の見学ツアーに参加できます。
太陽の塔の中には、ミュージアムショップを構えており、太陽の塔に関するグッズを販売しています。

見学の申込はこちら
https://taiyounotou-expo70.jp/

岡本太郎の関連書籍

芸術は爆発だ!

[expand title=”【本の目次をみる】” swaptitle=【目次をとじる】]

第1部 岡本太郎の人生(1911‐1945)(オレは進歩と調和なんて大嫌いだ
芸術は爆発だ!
私は、母親というものを、持ったことがない ほか)
第2部 岡本太郎の恋愛論(「女房のおかげだ。感謝しとるよ」なんて、無神経なヤツラだ
これから世界中の男の花嫁になったつもりになりなさい
お釈迦様が神聖なら、足の裏だって、神聖なんだぞ ほか)
第3部 岡本太郎の人生(1946‐1996)(絵画の石器時代は終わった
私は幼い頃から、「赤」が好きだった
教祖?信者の一人もいない教祖だね ほか)
[/expand]

誤解されたっていいじゃないか――岡本太郎伝の決定版

岡本太郎もイジメられっ子だった。高圧的な先生に反抗して登校拒否、一年生で四つも学校を変える。寄宿舎では子どもたちから酷いイジメを受け、パリ留学の後、入隊した軍隊では下士官に毎晩殴られる……。しかし、岡本太郎はくじけない。己を貫き、闘いつづける。「誤解される人の姿は美しい」と。鮮烈な印象を与える岡本太郎の言葉と、秘書・養女として一挙一動を見守ってきた岡本敏子の解説の組み合わせによる岡本太郎の決定版!

出典:Amazon

自分の中に毒を持て

“才能なんて勝手にしやがれだ”
“だめ人間なら、そのマイナスに賭けてみろ”
岡本太郎の遺した作品と言葉は、いまでも私たちに鋭く問いかけています。
瞬間を生き抜く、岡本太郎のパッションは、強い力をもって私たちの生命にズシンと響くのです。
歓喜と驚きに満ちた人生を、あらためてつかみとってください。

長年愛されてきたロングセラー『自分の中に毒を持て』の新装版です。
文字が大きく読みやすくなり、カラー口絵付きで、パワーアップして生まれ変わりました!

出典:Amazon

今日の芸術―時代を創造するものは誰か

前衛芸術の啓蒙書と言うべき本書において、著者は「今日の芸術は、うまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」を芸術の根本条件として宣言し、芸術の本質とは常に過去を否定し乗り越えることであると示す。
そして現代社会で失われた人間性を取り戻すため「これからはすべての人が描かなければならない」と主張し、人々を芸術行為へと誘う。1974年に刊行された初版の序では、著者自らが芸術に関心のない人にこそ読んでもらいたいと言っている。芸術は特権的なものではなく、人間の根源的な欲求だからである。復刻版では横尾忠則が序文を、赤瀬川原平が解説を書いている。刊行当時、芸術を志す者に競って読まれた本書は、簡略だがオーソドックスな美術史入門でもあり、「謙虚は卑屈」と断罪する日本文化論でもある。しかし何よりも、停滞を嫌い常に前進する画家の人間像が印象に残る、本人による「岡本太郎論」と言える。(林ゆき)

出典:Amazon

日本の伝統


[expand title=”【本の目次をみる】” swaptitle=【目次をとじる】]
1 伝統とは創造である(人力車夫と評論家たち 法隆寺は焼けてけっこう ほか)
2 縄文土器―民族の生命力(いやったらしい美しさ 狩猟期の生活様式が生む美学 ほか)
3 光琳―非情の伝統(真空に咲きほこる芸術 新興町人の精神と貴族性の対決 ほか)
4 中世の庭―矛盾の技術(なぜ庭園を取りあげるか 銀沙灘の謎 ほか)
5 伝統論の新しい展開―無限の過去と局限された現在
[/expand]

「法隆寺は焼けてけっこう」「古典はその時代のモダンアート」「モーレツに素人たれ」――創造であり、生きるための原動力でもあると主張する著者が、縄文土器・尾形光琳・庭園を題材に、日本の美の根源を探り出す。『今日の芸術』の伝統論を具体的に展開した名著、初版本の構成に則って文庫化。著者撮影写真、多数収録。解説・岡本敏子

出典:Amazon

タイトルとURLをコピーしました