月岡芳年|ジャンルを超えて人を魅了し続けた「最後の浮世絵師」

月岡芳年 芸術家紹介

月岡芳年のプロフィール

月岡芳年

出典:Wikipedia

名前 月岡芳年(つきおか よしとし)
国籍 日本
生誕 1839年4月30日(天保10年3月17日)
死没 1892年(明治25年)6月9日(満53歳没)

月岡芳年の生涯

12歳と早くから歌川国芳の下で浮世絵を学んだ芳年は、15歳のときに処女作「文治元年平家一門海中落入図」を発表しました。当時から、芳年の技量は頭一つ抜けており他の浮世絵師の追随を許しませんでした。

作品の評判が良くない時期があったことから神経衰弱に陥り、制作がまったく進まないこともありましたが病気を克服したのちには、再び制作意欲をあげて再始動しました。類いまれなる才能と技量で名前を広めた芳年は200人の弟子をとるまでになり、自ら教えながらも他の画家とも積極的に交流をさせることで弟子たちの活躍の場を広げました。

晩年は、酒による不摂生が大きな原因で体調を崩しました。そんな中でも芳年は制作を続けて入院にいたりましたが、手の施しがないと病院側から見放されて退院したのちに自宅で亡くなりました。

月岡芳年の作風

「奥州がはらひとつ家の図」のような無残絵が有名な芳年は「血まみれ芳年」の異名がありますが、他にも、歴史絵、風俗画、合戦絵など様々なテーマで描く浮世絵はどれも独特の雰囲気を醸し出しています。とくに評価が高いのは、武者絵で師匠である歌川国芳の影響を受けています。また、四条派の画家のもとで絵を描いていたころから肉筆画にも長けています。

芳年の作品の魅力は構図と技法にもあり、漫画や劇画に通じる動きのストップモーションのように見せる技法は現代の漫画や劇画に通ずるところがあります。

月岡芳年の作品

月百姿

月百姿 玉兎 孫悟空 

『月百姿 玉兎 孫悟空』

出典:山田書店

月百姿は、「月」をテーマとした100の作品から構成される連作です。芳年の晩年に完成したとされる月百姿は、作風も取り扱うテーマも豊富で、歌川派、四条派、円山派などに見られる技法を用いて、歴史画や動物画、役者絵など多種多様な作品を描き続けました。

作品全体を通じて、余白を取り入れることで静かで安らかな世界を表現しています。晩年には、神経を病に侵されましたが水野年方や右田年英といった弟子たちの協力を得ることで無事に完成しました。

文治元年平家の一門亡海中落入る図

文治元年平家の一門亡海中落入る図

出典:続壺齋閑話

芳年の処女作「文治元年平家の一門亡海中落入る図」が制作されたとき、芳年はまだ14歳でしたが周囲に劣らない圧倒的な技術をすでに持っていました。
「文治元年平家の一門亡海中落入る図」は、壇ノ浦の決戦の様子を描いています。

芳年の師匠である歌川国芳の武者絵の影響が色濃くでているのが特徴です。

月岡芳年の関連書籍

月岡芳年伝 幕末明治のはざまに

滅びゆく浮世絵の歴史の掉尾に位置し、今なお鮮烈な印象を与え続ける月岡芳年(一八三九‐一八九二)。三十歳で明治維新に立ち会った絵師は、激動の時代を直視し、変転する「浮世」をリアルに描ききった―。報道、伝記・回顧録などの資料を博捜し、作品主題と構図に緻密な分析を加えることで、血肉を備えた一人の浮世絵師の人物像を浮かび上がらせる。

出典:Amazon

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